三国時代の胃袋の認識って?
「府君胃中に数升の蟲有り、内疽を成さんと欲す、腥物を食し為す所なり」
胃袋について
州泰の苦労人振りを描くにあたって、お約束の胃痛に見舞われてもらおうと思ったのですが、はて気になったのが「この時代の人って胃袋の存在知ってるの?」ということでした。
早速調べてみますと、華佗伝には刺身食べすぎでぽんぽん痛くなった陳登に華佗が「あんたの胃に寄生虫湧いてるから!」と言ってるのが載ってたり、
史記の扁鵲(伝説的な名医)の伝に、扁鵲が「あんたの病気は胃と腸の間にあるから!」みたいなことを言ってたり*1、
黄帝内経(前漢に編纂された最古の医学書)に胃について(東洋医学的な理解に基づいて)書いてあったりするようなので、
多分胃というものの存在は知られていて、しかも消化器的な役割を果たしていたりすることも相当に理解されていたように思われます。
とはいえ、一つ気になるのが、すべて医師の発言なり医学書の記述なりなんですよね……。
現代医学は内臓についても血液についても人体について大変詳しい知見を得ているわけですが、では一般人である我々が白血球やランゲルハンス島についてどれだけ知っているかというとふんわりとしか理解していないわけで。
まあでもとりあえず知らないってことはないだろうということで、晴れて州泰は胃痛に悩まされるのでした。
彼に飲ませてあげたい太田胃散。自分も欲しい。
でも現代人はお医者さんで診察がてらムコスタとか貰ってきた方が検査もしてもらえていい気もします。腹に何升も虫が湧くことはなくても、胃潰瘍とか抱えてたらやべーですもんね。