うおおアンサンブル

三国志11PK動画「呂玲綺で英雄集結いってみよう」別館

曹髦

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「髦、俊なり」

――「爾雅」より




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特技:怒髪

敵部隊の戦法を受けると気力5回復



髦ってどういう意味?

魏の四代皇帝で、曹丕の孫でもある彼。
ぱっと一番印象に残るのは、やはり諱の「髦」ですよね。関羽を余計にもじゃもじゃにしたような印象の字面ですが、爾雅(最古の字典)によると「俊」の意味があるそうです。なるほどー。

その名の通り英邁で、議論を戦わせたり文芸サロンを開いたりという行動からは啓蒙的な人柄・スタンスであったことが窺えます。

中でも個人的に唸らされたのが、高貴郷公紀の甘露四年の条。漢晋春秋から引いた注に、当時しきりと龍の目撃談が相次いだことへの彼の言葉が残っているのですが、これが中々にすごいのです。

なんせ龍ですから、周囲は当然の如く吉祥と考えたのですが、曹髦は『龍は君主の徳である。上は天にも、下は田の中にもいないのは良いことだとはいえない』と否定した」と語りました。
Wikipediaにも拾われている話ですが、これはおそらく易経における乾為天の卦*1を踏まえた発言なんですよね。
その騒ぎを受けて自らの徳のなさを風刺して書いた「潜龍」も同様であり*2、彼がとても明敏かつ深い教養を身につけた人間であったことが分かります。

伏せられた死

そんな彼ですが、明君として魏を背負って立つことは遂にできませんでした。
司馬一族の専横に耐えかね、召使いらを率いて挙兵するも、司馬一族と関係の深い賈充の軍勢に阻まれ、賈充の叱咤を受けた太子舎人の成済により刺殺されたのです。

無謬の金科玉条として崇める三国志ファンも多い「正史」ですが、この事件について陳寿は露骨に筆を曲げています。
曹髦が死んだことと、曹髦が皇太后を暗殺しようとしたという嘘くささ満点の令を乗せるのみで、後は奥歯にものの挟まったような書き方に終始しているのですね。司馬氏の顔色を伺っていることは明らかです。
同時代故の史料価値の高さが賞賛される三国志ですが、一方でこうして権力者の意向を忖度して事実を歪曲しなければならないという同時代故の限界も存在するのですね。

別に三国時代に限ったことではなく、似たようなことはたとえば日本でも起こっています。
明治から昭和にかけて文部省により編纂された「維新史」なる書物があり、その内容の充実ぶりから長らく維新の史料のスタンダードとして扱われてきたものなのですが、実際には叙述に元老が全面的に朱筆を加えたことが明らかになっています*3
勝てば官軍とはよくいったものですが、いずれにせよ勝者によって歴史は紡がれるということなのですね。

事実を伝えたのは、しがらみのない後世の歴史家たちでした。
まず裴松之は史料を博捜し、「五月己丑,高貴鄉公 卒,年二十」というあまりにも簡潔な陳寿の記述に続け、曹髦の死について書き加えました。
ことがことのためか、漢晋春秋・晋諸公贊・世語・干宝晋紀・魏末伝・魏氏春秋と複数の史料における描写を並べ*4、事実を浮かび上がらせる形を取っています*5

また晋書においてもあちこちにこの事件についての記述があり、たとえば天文志の妖星客星条にも、「高貴鄉公成済の害する所と為す」と端的に書かれています*6
皇帝がいきなり死んで王朝が力を失っていくという出来事が中国史を見渡すとちらほら起こっていますが、彼のような事例もあったのかなあ、なんてことを思います。

高貴郷公はなぜ戦ったか

彼の跡を継いで即位した魏最後の皇帝・曹奐や、劉禅やら孫皓やらから見る限り、司馬一族とて鬼ではありません。逆らわない者、邪魔にならない者をいちいち殺すことまではしません。彼も頭を低くして、唯々諾々と従っていれば命まで取られることはなかったでしょう。
しかし彼にはそれは出来ませんでした。そもそも彼が16歳という若さで即位したのも、先代の曹芳が司馬氏によって退位させられた*7ため。
日に日に衰退する曹氏や魏の勢力を見て、理想に燃える若き君主は悲憤慷慨の念に耐えなかったのでしょう。夏を立て直した少康を評価したという話には、自身の姿をなぞらえていたように思えます。
しかし彼が執った手段は、司馬氏誅滅の兵を挙げるという軽挙妄動にも思えるものでした。残念ながら陰謀術策については相手の方が一枚も二枚も上手で、あっさり敗れてしまいます。
基本的に手段を選ばない人間が勝ちますし、勝っているのは基本的に手段を選ばない人間です。曹髦は命を落とし、その死さえ歪められた形でしか後世に残らない危険さえありました。
この直情振りを踏まえて、ゲームでは怒髪の特技が与えられているのでしょうか。

ゲームでの曹髦

というわけで結構お気に入りの人物なんですが、動画ではあんなことに。

魅力が80あるので、君主としてはお嬢様より適任だったりします。

11の顔グラはハタチにしては老け気味で苦労を感じさせますね。無理に剣を持っている感が素晴らしい。
9の賢そうでなおかつちょっと世間知らずな幼さを残したバランスも捨てがたいところですが。

彼とか孫策とか、あと孫翊とか費禕とか張飛とかを集めて「暗殺された人々が転生して英雄集結」みたいな動画にしようかと考えていたこともありましたが、不遇な長男シリーズとコンセプトがダダ被りな上に劣化コピー気味なのでセルフ没にしたのでした。




講談社の通史の一冊。脚注で取り上げた明治維新についての話や、幕末における幕臣たちの実際の評価、薩長のダーティな側面など、世間のイメージとは異なる実際のところを沢山教えてくれます。
イメージと事実の乖離を追求することに関心があるタイプの歴史ファンにお薦めの一冊。

*1:龍が天に昇るまでの流れを現したとされる卦(占いの文章)。「見龍田に在り」「飛龍天に在り」などというくだりがある

*2:「潜龍用うるなかれ」という文章が存在する

*3:井上勝生「開国と幕末改革」より P229~P230

*4:裴松之は漢晋春秋が一番信憑性が高いとしています

*5:Wikipedia裴松之の項目でこのことに賛が加えられていますね

*6:「彗星角に見ゆ、色白し。占いて曰く彗星両角の間に見えて色白きは、軍起こるも戦わず、邦に大喪有り」という占断がなされたことに続き、この文章があります。彗星が曹髦の死を暗示していた、ということでしょうか

*7:皇后の父である張緝・夏侯氏の一人夏侯玄らが司馬師排除のクーデターを企むも露見した