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三国志11PK動画「呂玲綺で英雄集結いってみよう」別館

郭奕

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「兒子に之を為すを願わず」

――陳寿三国志 魏書・王昶伝」より



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特技:なし



父は

父の郭嘉曹操の謀臣として名高いわけですが、彼自身はどうでしょうか。
魏書の王昶伝には、友人である王昶による評として「好尚に通達し,敏にして知有り」というものがあります。流行に通じていて頭の回転も速い。ネットで人気でアルファな才能を感じますね。

ですが一方で、相手を軽んじることや貴ぶことが眼に余るほど激しかったようです。
其の人を得るや之を重んじること山の如く、其の人を得ずや之忽(たちま)ち草の如し……というのですから、よほどだったのでしょう。
尊敬する立派な人は山のように重んじ、小物と見なせば草のように軽んじる。ますますネット有名人的なニュアンスを感じます。

そして「其の為人、弘曠足らず、輕貴餘り有り」ともあります。器も小さかったんですね。ますますますます、って感じですね。
でも打算であるとか銭ゲバであるとかそういうことでもないので、ネット有名人よりはずっと良心的ではありましょうが。

ゲーム内でのスペック

能力を見てみると、知力ランキングで堂々の単独2位を誇る郭嘉の息子としては、なんとも振るわない感じです。
いずれにせよ、王昶は「こういうことしちゃだめだよ」みたいに手厳しい評価を下していますし*1、このくらいの能力査定を付けられても仕方ない感じだったのかもしれません。

もう一人の郭奕?

ちなみに後漢書を紐解くと、列女伝に郭奕という名前が出てきます。妻に先立たれたため、未亡人になっていた荀爽という人物の娘・荀采に結婚を申し込むも、荀采は操を立てて自殺した……という話で、郭奕側からすると立場もへったくれもないようなエピソードです。
しかし、この荀爽という人物が誰かというと、孔融と協力して黄巾を打ち払ったとか、党錮の禁に巻き込まれそうになったとか、何進に仕えたとか、明らかに郭奕からすると一世代上の人でなんですよね。そもそも、荀彧のおじさんでもありますし。
王允たちと董卓を除く相談をしているうちに病死してしまったため、もう少し長生きすれば演義に出番があったかな? くらいの感じの人で、生没年(128年 - 190年)を郭嘉の生没年(170年 - 207年)と付き合わせると無理があるので、これはおそらく同名の別人でしょうね。




完訳ではありませんが、書き下し文が読めるならこれでしょうね。図書館にも大体入ってるでしょうし。


*1:裴松之は、友人の悪評を後世に残したとして王昶を難じていますが