車冑
「車冑殺すべし」
特技:なし
歴史書に見る車冑の姿
史書における彼の扱いは大変あっさりしたもので、すべてにおいて劉備が徐州で曹操に叛いた際に殺されたことばかりです。
魏書 武帝紀
備之未だ東せざるに、陰で董承らと與に謀りて反き、下邳に至りて遂に徐州刺史車冑を殺し、沛に屯し兵を舉ぐ。
(劉備は東=徐州に行く前から董承等と語らって背き、下邳に着くと徐州刺史車冑を殺し、沛に駐屯して兵を挙げた)
魏書 程昱伝
備徐州に至り,遂に車冑を殺し,太祖に背き兵を舉ぐ。
(劉備は徐州に着くと車冑を殺し、曹操に背いて挙兵した)
魏書 董昭伝
備下邳に到り、徐州刺史車冑を殺し、反す。
(劉備は下邳に着くと、徐州刺史車冑を殺し、背いた)
蜀書 先主伝
先主乃ち徐州刺史車冑を殺し、関羽を留めて下邳を守らせ、身は小沛に還る。
(劉備は徐州刺史車冑を殺し、関羽を残して下邳を守らせ、自身は小沛に帰還した)
蜀書 関羽伝
先主徐州刺史車冑を襲いて之を殺し、羽をして下邳城を守らしめ、
(劉備は徐州刺史車冑を襲って殺し、関羽に下邳城を守らせ、)
ひたすら殺されまくっててなんだか笑ってしまいます。本人からしたらこんなことで歴史に徹底的に名前を刻みつける羽目になるとか笑い事ではないのでしょうが。
車冑の「演義補正」
一方演義においては、やられ役とはいえもう少し出番があります。なにしろ肩書きからして車騎将軍ですからね。
後漢書に合巻された続漢書によると、「非常置職だが三公に比する位である」と記されています。三公といえば国のトップです。その頃の曹操が司空(三公の一つ)なのを考えると、ほとんど同格ということになります。
三国時代に各国で車騎将軍の位にあった人を見ると、皇甫嵩、張飛、曹仁、程昱、夏侯覇、朱然、賈充、黄権、郭淮……といった感じで錚々たる面子です。
ほかにも何進の弟の何苗とか、李傕とか、董承とか、大きな権力なり人脈なりを持っていた人々の名前も見られます。
その中にいきなり車冑というのはいくら何でも無理があるように思えますが、何であれ車騎将軍という看板を掲げただけあって、彼は相当な活躍を見せます。
活躍といっても具体的には関羽と数合打ち合って逃げるだけの話なのですが、演義においては関羽とか趙雲とか張飛とかに近づくとすぐに血煙を上げて馬から転げ落ちたり首がすっ飛んだりするので、これは相当に善戦したと言えるでしょう。
結局逃げ切れずに関羽に討たれ、張飛に家族を皆殺しにされと悲惨な最期を迎えてしまいますが、ただ殺されたとあるだけの歴史書の記述からは比較にならないほどの潤色が施されています。
つまり彼もまた演義で「盛られた」キャラクターであり、「演義補正」がかかっているといえるわけですが、その割には特に肯定も否定もされていないように感じます。ま、まあ……無理もないかな……。
正史といえばちくま。8冊セットだとさすがに値が張りますね……。