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三国志11PK動画「呂玲綺で英雄集結いってみよう」別館

蒋舒

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「蔣舒叫びて曰く、『我既に魏に降り了んぬ!』」

――羅貫中三国志演義」より




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特技:なし



武力の謎

Wikipediaには、彼が評価を得られず恨みを抱き、それゆえに城門を開いて魏に降ったと歴史書に基づいた記述がなされています。
これだけだと彼の武力の高さ(後期シナリオでは十分活躍可能なスペックです)に説明が付きませんが、その所以は三国志演義を紐解いてみるとよく分かります。

諸葛亮の没後、蜀を率いて魏と戦うこととなった姜維ですが、その姜維は漢中にあって二人の将を選りすぐりました。
一人は夷陵で命を落とした傅彤の息子である傅僉、そしてもう一人がこの蒋舒です。
姜維は二人と毎日訓練を重ね、演義は「姜維は甚だ之を愛す」と語ります。高く評価したわけですね。

新しい世代の登場を感じさせるエピソードですが、しかしその希望は儚くも砕かれます。
荀勗に推されて指揮官の任についた鄧艾と鍾会が侵攻してくるや否や、蒋舒は陽平関を開いて降参してしまったのです。

傅僉(彼は父同様に蜀に殉じました)に「陛下に合わせる顔があるのか!」と罵られる蒋舒ですが、ショックを受けた様子もなくその後も鍾会に付き従い、質問されたらそれに答えたりとすっかり降将と化してしまいました。
格好悪いようですが、蜀が滅亡した一つの主因と見なされている人材の払底を象徴し、そのことを読者に印象づけるキャラクターとして、物語上重要な役割を果たしているともいえるでしょう。

さて、数値化するには中々に難しいパーソナリティですが、三国志11はマスクデータも駆使して解決しました。
武力を上げつつ蒋舒の性格を「小心」にし、更に義理を低めに抑えることで、「それなりに武勇に秀でているが、いざという時に裏切ってしまう」という人柄を上手く描きったのですね。
見事な匙加減と思います。魅力の低さはペナルティでしょうね。

死せる孔明、生ける鍾会をビビらす

ちなみに鍾会が蒋舒にした質問というのは、「定軍山に神廟はあるか?」というものでした。
鍾会が定軍山まで進んだところで、突然狂風に見舞われ進むことも敵わなくなったのです。狂風を、何らかの祟りによるものと考えたのですね。
鍾会の問いに蒋舒は、「そういうものはありません。ただ、諸葛武侯の墓があるものです」と答えました。
そう。定軍山というと黄忠夏侯淵を討ち取った場所ですが、また孔明が自分の亡骸を葬るよう遺言した地でもあるのです。

蒋舒の答えを聞いた鍾会は、「これは武侯の顯聖(力を顕した、みたいな意味でしょうか)に違いない」と驚き、次の日祭壇を作って孔明を祀ります。
すると綸巾に羽扇、鶴氅の衣を身に纏い、身長は八尺にして神仙の如き飄々とした人物が現れました。
驚く鍾会に、羽扇を持った長身の人物は「漢は既に衰え、天命に逆らうことはできないとはいえ、両川の民が戦に苦しめられるのは哀れである。入境したのち、妄りに民を殺すことはやめて欲しい」と頼みました。

鍾会は保国安民と書かれた旗を掲げ、略奪を厳に戒め、漢中の民は城を出て鍾会を迎えました。

後人の詩に「生きて能く策を決し劉氏を扶け,死してなお遺言し蜀民を保つ」と讃えられた旨を記して、演義はこのエピソードを締めくくります。

演義における孔明最強伝説の一環と言ってしまうのは容易いことですが、一方で鍾会というキャラクターの持っている毒気を上手く薄めて、違った側面を引き出すことに成功しているようにも思えます。素直に恐れ畏まって民草にも優しく振る舞う鍾会は、なんか可愛いですよね。

また、その孔明をして漢の命運が尽きたと言わしめているところに、三国志演義が単純な物語ではないことがよく分かります。

東南の風を吹かせ、天下三分の計を成らせ、死して宿敵を奔らせるほどの天才軍師をしてなお、時流は覆し得ない。
演義が描き出すのは、そんなシビアな結論なのです。




脚注が充実していたり読みどころについてまとめられていたりするなど知識を得やすくなっていて、なおかつ文体も読みやすいもので初心者におすすめ。
一方正史翻訳で有名な井波律子の手によるものであるためマニアも納得です。