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うおおアンサンブル

三国志11PK動画「呂玲綺で英雄集結いってみよう」別館

盧植

人物

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「性は剛毅にして大節有り」

――范曄「後漢書 盧植伝」より




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特技:指導

技巧研究費用半減。同部隊所属武将(所持者本人は除く)の入手経験値量が2倍に



先生・盧植

人形劇三国志だったか、吉川三国志だったか。
劉備の師匠として彼が登場した時には、子供心に感動した記憶があります。
演義における君子劉備はぼこっと生えてきたわけでなく、立派な師の薫陶を受けたこともまた大きいのであるということを表現する、とても重要な役割を果たしていたのですね。



魔王に立ち向かう

そして物語におけるこの盧植像を裏打ちするのが、歴史書に残された彼の姿です。
異民族を下し、張角を破り、宦官誅殺の際には逃げる宦官の前に大斧を以て立ち塞がるなど勇ましいエピソードが目につきますが、やはり最も熱いのは董卓が少帝を廃し献帝を立てようと群臣に謀ったシーンでしょう。

殷の頃、放蕩を繰り返した君主・太甲を追放し自らが摂政となった伊尹や、前漢の第九代皇帝・昌邑王を擁立するも、「淫辟(放蕩淫乱)」を行ったということで二十七日で廃した霍光(霍去病の腹違いの弟でもあります)の故事を引き、董卓は自己を正当化しようと図ります。
しかし盧植はその邪さに異を唱え、太甲や昌邑王は罪があったのでその地位を追われたが、一方少帝はそうではない*1と正面切って論陣を張りました。
これは、自分を正当化するため故事や伝統を好き勝手にねじ曲げて引用する人間を、立派な学識を持つ人物が成敗した(董卓盧植を殺そうとしますが、これは一切反論出来なかったことを示しています)という意味でも素晴らしい出来事だったと思います。
ちなみに演義孟子の「伊尹の志有らば則ち可なり,伊尹の志無ければ則ち篡なり」という言葉を引用し、彼の学識の深さをより効果的に表現しています。こういうことがさらりとできるところに、演義を書いた人物の筆力がいかに高いかが分かります。



曹操盧植を顕彰する

この盧植曹操も絶賛しことが、魏書盧毓伝に引く続漢書後漢書盧植伝に残っています。
柳城の蹋頓を討ちに行く道すがら、盧植の出身地である涿郡(劉備の出身地としても有名ですね)を通った際、太守を呼び出して、
「その名を知らしめ、勉強して師となった。士の手本、国の礎だ」*2と絶賛した上でその徳を称えるように命じています。
彼がわざわざそこまでしたことが、盧植の偉大さの何よりもの証明ですね。
また、彼が教師として高く評価されていることも伝わってきます。
演義が彼を後漢の名臣という側面より劉備の師という側面に軸足を置いて描いたことも、三国志11が彼に指導という能力を与えたことも、納得いきますね。






孔子と並び称される割に、日本ではあまり受容されていませんが、これは易姓革命の概念を支配者階級が忌避したからと言われています。
上で引用した言葉でも、主の放逐を正当化していますしね。
反体制のイデオローグとして若者を扇動し明治維新への端緒を開いた吉田松陰が、積極的に孟子を学んだという辺りも色々示唆的だなあとか思います。




*1:「未だ行いに失有らず、前事の比に非ず」范書・献帝紀より

*2:「名を海内に著し、学びて儒宗となる、士の楷模、即ち国の楨幹なり」

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