張魯
「鬼道を以て民を教え,自ら師君と號す」
特技:米道
所属都市の兵糧収入五割増し
宗教者としての張魯
五斗米道の指導者ということで、キャラクター付けにお米を用いられている姿がよく見られます。
コーエーの三国志でも、12でお米つきのグラフィックになりましたね。
11ではどうかというと、どこか俗っぽい雰囲気がありますが心底悪人にも見えないような感じです。
いずれにせよ、張角辺りとは違い宗教的カリスマ性は感じられません。
4の時のようなことをしてもまずいですが。まあ当時はまだ元ネタの人物の危険性は知られていなかったですが……。
はてさて、実際どうだったのでしょうか。
五斗米道についてはいずれ改めて詳しく触れますが、太平道と類似していたようですし、
張魯伝に「呪術で民を教化し、自ら「師君」と名乗った」とありますので、相当に「宗教」していたと思われます。
五斗米道には、病者を静かな部屋で自分の罪を反省させるという行いがありますが、
閉じ込めた上で自己批判させる、というのはカルトによくある手法でもありますね。
時代が降って南北朝時代になると、若くして「張魯の術」を身につけた寇謙之*1が新天師道を開き、北魏の世祖や宰相の崔浩らを帰依させ新天師道を北魏の国教としています。張魯が「術」を使う存在であったという認識は広く浸透していたようです。
ちなみに話は逸れますが、この寇謙之は山ごもりしていたら太上老君*2より聖典を受け取ったそうです。南華老仙から太平要術を貰った演義の張角と同じような権威付けの仕方ですが、五斗米道の始祖である張陵も同様に山でお告げを受けてますし、そういえばモーゼとかムハンマドとかも似たようなことを言っていますね。一つの類型、あるいはアーキタイプ的な何かなのでしょうか。
ともあれ、やはり宗教色の強い存在だったことは疑いのないところなのでしょう。
ゲームにおいてその要素が薄められているのは、物語においてあまり宗教指導者的エピソードが見られないのと、
この手の能力者が何人もいるとゲームバランスの面で問題が生じるからといったところでしょうか。
張魯の正体は
魅力の高さが目を惹きます。これはおそらく、曹操に漢中を攻められた際蔵を焼き払おうという意見を具申された際「国家のものだから手をつけては行けない」として封をしたという有名なエピソードに依るところが大きいのでしょう。
この私利私欲に走らなかった行いで曹操は張魯を高く評価し、張魯の娘を自身の子である曹宇に嫁がせるなど姻戚関係を結び、張魯の子を全て侯に封じるなど厚遇しました。
負けたにもかかわらず、張魯は地方の宗教勢力の長から権力者の係累へと一気にキャリアをジャンプアップさせたわけです。
裴松之は張魯伝の註で過分な引き立てではないかと疑義を呈していますが*3、そういうものを読んでいると、ふと考えてしまいます。これが、もし策略だったとしたらどうなのでしょう。
張魯は母が劉焉に取り入ったことを利用して力を得、その後五斗米道内の実力者だったと思われる張脩を殺害*4し、その後殺害の事実を隠した疑惑があります。決して一筋縄でいく人間ではありません。
曹操に気にいられるためにあえて善人のように振る舞い、まんまとその懐に飛び込んだとすれば、これは恐るべき深謀遠慮ですが……はたしてどうだったでしょうか。
之を諡して曰く原侯
彼の諡は原侯です。
諡法解(諡マニュアルみたいなもの)の原文には見当たらなかったんですが、思慮不爽曰原;植德開基曰原;慶流奕葉曰原 というのが見つかりました。
考えていることが爽やか(ないし純粋)でない、というネガティブなものをつけるとは考えにくいので後ろ二つになりましょうか。徳を植え基を開く、とか慶ばしい流れを奕葉(代々)重ねるみたいな意味合いは、彼が曹家との血縁関係を築いたことを表しているようですし、五斗米道のその後の隆盛を暗示しているようにも思えます。
ただ出典が分からない……どうなんだろうなあこれ。
五斗米道は後の道教であり、すなわち老荘の教えに強く影響を受けています。
執着を捨てることを是とする教えは、ひょっとしたらやれミニマリストだ断捨離だとかまびすしい現代においてまた流行るかもしれませんね。