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三国志11PK動画「呂玲綺で英雄集結いってみよう」別館

楊柏

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馬超妻子が惨禍に遭いしは、皆超の貽害なり」

――羅貫中三国志演義」より




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特技:なし



楊柏の役割

歴史書においては、馬超伝の注釈にちらっと名前が出てくるだけの彼ですが、
演義では楊松の弟という中々に目立つ設定を与えられ、張魯が娘を馬超に娶らせようとした際「妻子を失ったのは馬超の自業自得。そんな人間に娘を嫁にやっていいのですか」と讒言します。
何とも嫌な奴ですが、意外と彼の存在は重要なのです。

演義における馬超は善玉です。そして演義は、善玉に高い倫理性を求める構造になっています。まあ三国志演義に限りませんけれども。
よって、張魯の配下として働いていた馬超劉備側につくにあたって、「そうせざるを得なかった」「張魯の元に残っていても仕方なかった」という状況を作らねばなりません。そこで楊柏が「抜擢」され、馬超の居場所を奪ったのですね。

歴史を物語に生かす見事な手腕

楊柏の行った讒言の内容は、馬超伝の注釈に原型が存在します。
Wikipediaにも記述がありますが、張魯が娘を馬超と娶せようとしたとき、張魯に仕える彼とは別の誰かが「親を愛せない人が、他人を愛することなどできましょうか」と進言したとあります。これは言うまでもなく、馬超が反乱を起こしそのために馬騰が殺されたことを指していますね。

注にちらっと出てくるだけの人物や発言を膨らませ、バックグラウンドをしっかり持たせて物語上で大切な役割を担わせている辺りに、書き手の手管を感じます。中々出来ないことですよ。

諱の謎

ところで彼の名前、歴史書(典略)では楊白なんですが、
これはなぜなんでしょう。李白とか普通に白という諱の人はいますし、三国志演義が成立した明の皇帝の諱を見ても避諱(同時代の王朝の皇帝の諱は使えない)する必要もありませんし。
単なる誤記だろう、と言ってしまってはそれまでですが、演義を見渡してもそこまで大量に発生しているわけでもありませんし、なんだか腑に落ちないのでした。

避諱の例

余談ですが、避諱についても少し。
有名なのは公孫淵の字ですね。おそらくは文懿なのですが、皆さんご存じ晋の高祖こと司馬懿の諱とかぶっているので、晋書では字が省略されています。
ちなみに唐代に成立した別の「晋書」では、唐の高祖李淵の諱と彼の諱が被るので公孫文懿と表記されているそうです。

コーエー三国志プレイヤーには特になじみ深い建業は、三国時代以降も東晋の首都として栄えますが、西晋の愍帝司馬鄴の諱を避けて建康と変えられたとか。

あとは都のことを一般的に京師といいますが(小説等でも出てくる表現ですね)、西晋東晋では司馬師の諱を避けるために京都と言い表したそう。
今の「京都」も、それが巡り巡ってこう呼ばれているとのことです。三国時代と現代日本との意外な部分での繋がりですね。歴史が面白いな、と思える瞬間。



避諱についての文章「使えない字 : 諱と漢籍」が読めます。書いているのは井波陵一さん。そう、ちくま三国志でおなじみのあの井波律子さんの旦那さんです。