房陵
「廃して房陵に遷す」
――班固「漢書」より
上庸に近いことから、三国志では上庸が話題に上った時に名前が散見されます。
曹丕の頃には上庸と一つにされたこともあったそうですね。
歴史書を紐解いてみますと、たとえば漢書に房陵の名が多く見られまして、いずれも流刑の類です。
清河王の劉年*1や、広川王の劉海陽*2、河間王の劉元*3などなど、王クラスの人が位を廃された後に流されていることが記されています。
その罪状は、漢書に付された諸侯王表からすると殺人や「與同產妹姦」(劉年の罪状。劉参伝には子供ができてしまったとまで書かれています)など、かなり重いであろうものが並べられています。相当やらかした人が送られる場所だったみたいですね。
上庸が要害であると同様、この辺りも大変な僻地だったということなのでしょうか。
しかし、前漢の王族の不行状が目立ちますね。広川王の劉海陽などは、部屋にエロ絵を描かせたとか人妻の姪を幸臣(宮廷道化師)と姦させたとかあります。ただれてるなあ。
漢書のセット。やっぱり高い! でも揃えず持ってても仕方ないものですからねえ……。