申耽・申儀
「耽、儀大叫して曰く、『反賊走るなかれ! 早々に死を受けよ!』」
特技:なし
雑草魂ここにあり
曹操に仕えるも、劉備に降伏。その後立場が危うくなるや孟達を説き伏せて再び曹操に降り、その孟達が孔明と通じると密かに仲達に知らせ孟達を討つ――
演義で語られる彼等の姿は、あまり爽やかなものではありません。孟達にせよ劉封にせよ陰のあるキャラ付けなり後味の悪いエピソードなり用意がなされているので、彼らの集まる上庸は何ともすっきりしない空気を纏っているように感じられます。
実際、申兄弟については歴史書を紐解いてみてもその行いに大差なく、上庸という縄張りを担保に魏と蜀の間で保身を図っていた、という印象さえ受けます。
その行いを反映してか、能力値は三流武官といった趣で、大変冷遇されています。能力の評価について手厳しいプレイヤーが多いコーエーゲーですが、この兄弟のパラメータを批判する発言は見られません。皆さん納得の数字ということなのでしょう。
確かに英雄的な活躍はなく、小物と評されても仕方ない面もある彼等です。しかし自分は、彼等は彼等なりに必死だったのではないかなあとも思うのです。
激動の時代に生まれたからといって、誰もが「ヒーロー」になれるわけではありません。
たとえば幕末においても、武士が全員「日本の夜明けぜよ!」とか「士道不覚悟!」とか言って幕末男子の花を燃やしていたわけではありません。諸藩のほとんどは錦の御旗の前に膝を屈し、トップである将軍も(様々な判断の末ではありましょうが)自ら恭順の意を示し、「武門」のイメージとは違う幕の引き方を行いました。
「ヒーロー」ではない人間は、「ヒーロー」ではない人間として生き抜かねばならないのです。
申兄弟の手持ちのカードで最も重要なのは、要害である上庸です。二人はそれを最大限に生かし、理想に酔ったり矜持に囚われたりすることなく、したたかに激動の時代を泳ぎ切りました。
そんな彼らの雑草魂もまた、乱世において人間がいかに生きるべきかという命題に異なる角度から光を当てるものと言えるかもしれません。
雑草の末路は
魏に降った後、兄の申耽は懐集将軍に任ぜられて南陽へと移り、弟の申儀は上庸に近い魏興の太守に任じられました。兄の足跡はここで途絶えますが、申儀には後日談が存在します。
孟達が反乱するや否や直ちに対応し、蜀との連携を絶つことで孤立させた……みたいな活躍もあるんですが、晋書には「魏興が中央から離れていることから増長した態度を見せ、遂には詔書の偽造まで行ったため、仲達により弾劾され中央に送られた」*1なんて記述があるのです。伸びすぎた雑草は抜かれてしまう、ということなのでしょうか。
彼らのコーエー三国志における初登場はIIIということで、割と古株ですね。
そんなIIIは今、3DSでリナンバリング+リメイクの上で発売されています。
自分はIIIが初プレイなので、とても感慨深いものがありますね。